第4回はアイリッシュハープのルネサンスとバンティングの貢献です
17世紀以降(日本では江戸時代初期)、ハープの伝統は次第に衰退し、18世紀後半(日本では江戸時代中期)にはほとんど消滅しました。19世紀半ば(日本では幕末)には、最後の伝統的なハープ奏者が亡くなり、ハープの技術や音楽は失われる寸前でした。しかし、1792年に開催されたベルファストのハープ・フェスティバルが、この伝統を救う転機となりました。
このフェスティバルは、伝統的なハープに関心を持ち、その復興を望んでいたベルファストの有力者たちによって計画されました。参加したハープ奏者は、アイルランド人10人とウェールズ人1人の合計11人で、彼らは3日間にわたってアイルランドの音楽を演奏しました。若いオルガン奏者エドワード・バンティング(1773-1843)は、この音楽を記録し、さらに演奏者たちの家を訪問して、より多くの曲や技術、伝統を詳細に記録しました。
バンティングは、このフェスティバルで記録した音楽を基に、古いアイルランドの曲を3回にわたって出版しました。彼の努力により、古いハープ奏者たちの技術やスタイルは現代に伝わり続けています。
図9・The harpers playing Belfast
図10・エドワード・ヴァンティング
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