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ハープ音楽の伝統と衰退

ケルト系民族が繁栄する間、ハープは権力、音楽、詩歌と密接に結びついていました。しかし、16世紀ごろには外部からの圧力によりケルト社会は次第に没落し、これまで王侯貴族に仕えていた詩人やハープ奏者たちは、パトロンを失い、旅回りのミュージシャンとなっていったのです。
いく人かのハープ奏者はアングロ・アイリッシュ(※八木註:アイルランドに移住したイギリス系移民の子孫)の新しい上流社会に迎えられましたが、彼らはケルトの伝統から離れ、ロンドンやヨーロッパ大陸の音楽に適応しなければなりませんでした。
「最後の吟遊詩人」と言われた、ターロック・オ・カロラン(図8)が活躍したのは17世紀末から18世紀初にかけてでした。
彼は、18歳頃天然痘に罹り失明します。その後、ハープを学び、21歳で独立し、旅回りをはじめます。彼の曲はアイルランドの伝統音楽というより、彼のパトロンたちが好んだバロック音楽に影響されています。そして、カロランを最後に、この時代のハープ文化は衰退していきました。

図8・Turlough O’Carolan(1670〜1738)

アイルランドの50ポンド紙幣に、カロランのその肖像が使われた

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