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第3回はトリニティーカレッジのハープの由来についてです

アイルランド共和国の首都ダブリンにあるトリニティーカレッジの図書館には、「ブライアン・ボルーハープ」という名のハープが保存されています。ブライアン・ボルーは、紀元1014年のクロンターフの戦いでバイキングに勝利し、アイルランドを統一したマンスター王の名前です。この時期の日本は平安時代中期で、藤原道長が権力を握り、栄華を誇っていた時代にあたります。
アイルランドは、ドルイドを中心とした古代ケルトの象徴であるタラの丘周辺で文化が栄えました。4世紀に入ると、聖パトリックによってキリスト教が伝えられ、ドルイド教と融合した独自のキリスト教が生まれます。そして、修道院を中心とした時代が8世紀まで続きます。この4世紀から8世紀にかけて、アイルランドは「聖者と学徒の島」と呼ばれました。この時期の日本では、飛鳥時代から奈良時代へと移行し、大宝律令が制定され、仏教文化が隆盛していました。
しかし、8世紀から10世紀にかけて、北欧のデーン人(バイキング)がアイルランドに侵入し、修道院や古代のアイルランドの遺跡を焼き尽くしました。
こうした中で、ブライアン・ボルーがバイキングに勝利しましたが、クロンターフの戦いに勝利した後、不幸にも戦死しました。

アイルランド上王・ブライアン・ボルー(18世紀、エングレーピング・Wikipediaより)

クロンターフの戦いの油絵(1826年、ヒュー・フレイザー作・Wikipediaより)

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