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ササン朝ペルシアの音楽

アケメネス朝のアルタクセルクセス三世の血を引くアルダシール一世は、紀元後224年に即位し、226年にパルティアを滅ぼしてササン朝ペルシアを建てました。
この王朝ではゾロアスター教が国教として採用され、祭司は支配階級の中で最も高い地位を与えられました。ササン朝の宮廷では、楽師や曲芸師も延臣の位を授けられ、重んじられていました。
特にハープに関しては、ササン朝第十五代のバハラーム五世(在位421〜439年)は「グール(アジアロバ)狩の名人バハラーム」の愛称で知られていますが、楽師を寵愛し、彼らを延臣の中でも最高の地位に引き上げたという伝説があります。
また、インドから一万余人の歌舞音曲の巧みな祝言人(はがいびと)を招いてイランに住まわせたという伝説も有名です。彼らはイランのロル族の祖先とされていますが、同時にロマ(いわゆるジプシー)の祖先であるとも言われています。
弓に矢をつがえて狩りをするバハラーム・グールの像は、画家が好んで描いた図像ですが、しばしば彼が寵愛した女性楽師アーザーデを伴っています。アーザーデはギリシア人でしたが、竪琴(チャング)を常に携え、これを巧みに奏でていました。

バハラーム5世の狩りの様子を描いた、20世紀の挿絵(Wikipediaより)

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